がけ崩れの復旧工事(信越線熊野平構内) がけ崩れの復旧工事(信越線熊野平構内) 1950年代以降は、矢ヶ崎公園の駅前スケートリンクや東急スケートリンクの造成、1961(昭和36)年から始まった軽井沢駅前地域の区画整理事業における道路と水路工事に従事するなど、公共事業を多く手掛けるようになっていきます。 今も昔も、経営方針の一つである「地域に立脚し、地域に貢献する企業となる」のもと、軽井沢のため、地域の皆様のためい一つひとつていねいで信頼のおける仕事をモットーに社業に邁進しております。 東急スケートリンク 工事写真会社情報
事業が軌道に乗ってくると、創業者の村瀬勝好は、積極的に軽井沢警察署より出所を迎えた血気盛んな若者たちを親身になって受け入れて仕事を与え、その更生に尽力しました。当時は、会社としても多くの若者に支えられ事業を拡大していったようです。
1950(昭和25)年6月に信越線熊野平構内で発生した、がけ崩れの復旧工事には東鉄工業の下請けとして従業員10名を派遣。この事故では二次災害として多くの犠牲者を出したことでも知られていますが、弊社の社員は全員無事だったと記録されています。年表