沿革HISTORY

会社情報

第二次世界大戦が始まる3年ほど前の1936(昭和11)年に、弊社は軽井沢の地で創業しました。土木関連の工事請負を生業とし、主に鉄道や道路の整備といった仕事に従事していました。

事業が軌道に乗ってくると、創業者の村瀬勝好は、積極的に軽井沢警察署より出所を迎えた血気盛んな若者たちを親身になって受け入れて仕事を与え、その更生に尽力しました。当時は、会社としても多くの若者に支えられ事業を拡大していったようです。

1950(昭和25)年6月に信越線熊野平構内で発生した、がけ崩れの復旧工事には東鉄工業の下請けとして従業員10名を派遣。この事故では二次災害として多くの犠牲者を出したことでも知られていますが、弊社の社員は全員無事だったと記録されています。

がけ崩れの復旧工事(信越線熊野平構内)

がけ崩れの復旧工事(信越線熊野平構内)

1950年代以降は、矢ヶ崎公園の駅前スケートリンクや東急スケートリンクの造成、1961(昭和36)年から始まった軽井沢駅前地域の区画整理事業における道路と水路工事に従事するなど、公共事業を多く手掛けるようになっていきます。

今も昔も、経営方針の一つである「地域に立脚し、地域に貢献する企業となる」のもと、軽井沢のため、地域の皆様のためい一つひとつていねいで信頼のおける仕事をモットーに社業に邁進しております。

東急スケートリンク 工事写真

年表

1936
創業者 村瀬勝好が土木請負業を始める
1962
個人村瀬勝好の営業権の譲渡を受け、株式会社村瀬組に組織変更、資本金500万円
1966
資本金の増資(資本金1,000万円)
1975
二代目 村瀬克隆が代表取締役就任
1994
資本金の増資(資本金2,000万円)
2017
三代目 村瀬栄一が代表取締役就任